昭和に生まれて

思いのままに

韓国民への「とんでも提言」

 結論から先に言いましょう。

「韓国と北朝鮮を一緒にして、その統治の全てを100年間ドイツに委託する」と言うものです。 次にその意味を説明します。

 

李氏朝鮮時代末期、朝鮮を訪れたイギリスの女性旅行者がいた。名をイザベラバードと言う(韓国ではイザベラビショップの方がわかるのかもしれないが)。この女性は日本、朝鮮、中国を旅行し旅行記を出版している。朝鮮には数度訪れ、鋭い指摘をしている。ご存じの方も多いだろう。その彼女の朝鮮に対する結論の中に、朝鮮人は支配者層が酷すぎると言うのがある。ロシア領に逃げた朝鮮人が、ロシア人、中国人に伍して働き、良い評価を得て、ソウルでは見られない立派な家に住み、清潔な環境で過ごし、女性も笑顔で生活しているとわざわざ確認しにロシア領まで行ってきた。結論として、朝鮮人は怠け者ではなく、体格も良いし、外国語も良く覚えるし、支配者層の苛斂誅求な行動が無ければ、能力を立派に発揮できると言うのである。そして、外国人に支配してもらった方が国民は幸せになれると言っている。

 

 現在の韓国、北朝鮮の支配者層は、この李朝朝鮮時代の支配者層のやり方から全く抜け出していない。35年ほどの日本統治時代を経ても変わることなく現在の朝鮮半島に、色濃く残っている。韓国の若者は「ヘル朝鮮」と嘆き、コネ社会の非道さに憤慨し、北朝鮮は支配者自分の身を守るためとロケット遊びに金をつぎ込み、国民が飢餓に苦しもうが、非道な仕打ちに命さえ奪われようが省みることすらない。

 

 韓国も北朝鮮も祖国統一には異論がない。ただし自分の国が政権を取り、自分の国の方式で統一を考えている。ここで、必ず争いが起きる。李氏朝鮮時代の権力闘争がさらに大げさに起きる。 それを避けるために韓国人が尊敬するドイツ人に、政権を預け、望ましきこれからの国家のモラル、教育、経済等根本的に再検討してもらう。 世界的に信任の厚いメルケル元独首相が、現在フリーでいる。メルケルさんに統一朝鮮の信託統治大統領になってもらい、配下に一万人位のスタッフを呼んでもらう。それを引き継ぎ100年間(35年では修正されなかったので)継続する。それから徐々に統一朝鮮人に統治を引き継ぐ。

 

 北朝鮮をこのとんでもプランに引き込むのは、至難の業か?

たんぽぽ

 昭和50年頃の事である。

 

 その日浩一は、出張で長野県松本での仕事を終え、飯田に向かっていた。夕方まだ明るい時刻に降りた飯田の駅は、その当時木造の古ぼけた小さな駅だった。 駅前に降りるといかにもローカルな町と見える、数台のタクシーが客待ちをして、これといったビルもなく、平和な静かな町であった。この地区では大きい街だと聞いていたが、予想外な景色に驚かされた。

 

 駅を出て、少し歩くと、電話で予約しておいた旅館の看板が目に入った。昔ながらの旅籠で、あまり泊まる客もいないような古ぼけた木造の宿であった。 部屋に行き、一呼吸おいてから、夕飯を食べに外に出た。

 

 少し下り気味の坂道をゆっくりと歩いていくと、入り口のドアがいかにも真新しく、開店祝いの花輪に「スナック たんぽぽ」の文字が見えた。 どう見ても、今日が開店の店である、この近辺に、他に酒を飲めるような店は見当たらない。店の名前が「たんぽぽ」悪質な店とも思えなかった。外はまだ明るいが、食事の前にビールでも飲んで行くかとドアを開けた。

 

 早すぎたのであろうか、店には客の一人も、店の人の姿もなかった。 入って左側にカウンターがあり、8人ほどが座れる椅子が並んでいる。間口が狭く奥に長い、細長い造りである。奥には調理場でもあるのか、カウンターの位置からは、中が見えない。外の光が入り店の中は薄暗いが落ち着いて見えた。新規開店である、良く整理され、掃除もされているが、飾りもなく、殺風景にも見える。

 

 「あのー、早すぎましたかねー」と奥に向かって声をかけると、「大丈夫です。好きなところに座っていてください。」と女性の声が聞こえた。

 

しばらく座っていた。だが、誰も出てこない。珍しい現象である。この手のお店に入って、客が来たのに、しかも客が声をかけたのに、返事だけして、誰も姿を見せない。おしぼりもない。注文も聞かない。不思議である。これが飯田のしきたりか? それでもしばし待った。

 

 普通開店祝いと言えば、親戚や友人、前の店でのお馴染みさんなどの人々が来てにぎやかなのだが、静かである。そういえば、花輪も店を工事した業者だけ1つである。店の中もこれと言ってお祝いの花籠などもない。暇に任せてあれこれ考えていた。それにしても静かである。

 

 とうとう手持ち無沙汰で、「ビールが欲しんだけど」とまた声をかけてみた。「はい」と声がした。

 それでも姿が見えない。ビールは来ない。お通しもない。どうすればいいのかな? 待つことにした。

 

 来た! 年の頃なら30歳前後、背は平均より大きく160cmぐらいはあるだろうか、小太りの女性である。お使いに町に来たと思われるような極普通の装いである。水商売をやってますと思われる典型的な装いからは程遠かった。

 

手には、栓を抜いたビール瓶とコップ。「はい」と言って置くと逃げるように奥に引っ込んでいった。 なぜ逃げる? そんなに私が怖いか? お通しはどうした? わからない? 出てきた女性以外に、人の気配はしない。不思議である、ビールを注ぎもしない。

 

ビールを自分で注ぎ、静かに口に運んで、ゆっくりと考えた。そう、慣れていない。きっとこのような商売の経験がないのだろうと思った。女性の顔に不安がありありと見えた。だがではなぜ、この商売を始めようと思ったのだろうか? 暇である。いらぬことを考えるぐらいしかすることが無い。

 

これは、面白いかもしれない。どういうことなのかゆっくりと解明していこう。

「あのー、メニューは?」声をかけてみた。「えっ!   はい」慌てた声である。奥で何をしているのかわからぬが、料理をしているような音もしない。メニューを持ってきた。そして、また慌てて奥に逃げ込んだ。

 

 直ぐに出来そうなものを注文することにした。「冷奴と枝豆!」と奥に向かって注文した。「はい」の返事はする。

 

 そうこうするうち一人客が入ってきた、小柄で年の頃なら60歳前後、頭は短髪で白いものが多く見える。地元のおっさんという雰囲気で、工事関係の仕事でもしているのか薄いグレーのジャンパー姿。少し離れたところに座った。

店を見回した後、「店の人は?」こちらに聞いてきた。「奥にいますよ。」 「お客だよー」と奥に向かって男が声をかけた。またもや、「はい」の返事だが出てこない。注文品を作っているのだろうか?

しばらくして、冷奴と枝豆をもって女性が現れた。男の客にいらっしゃいとも言わず、料理を置く。 「ビール頂戴」と男が声をかけた。 「はい」と言って奥に。 今度はすぐにビールを持って現れた。置いて、奥に戻ろうとすると、男が「お酌しなくっちゃ!!」と。

「はい」と言いお酌をする。「この仕事はじめてかな。」流石おっさん、男は女性に話しかけた。

「そうなんです。何にもわからずすいません。」

「そのうち客が色々教えてくれるよ。ところで前は何の仕事をしていたの?」

「事務員でした。」

「ずいぶん固い仕事だったね~。それですぐこの仕事をする気になったの?」

「ええ」

 女性は答えずらそうであった。

「すいません」

声を残してまた奥へと逃げた

 

男と女性の会話を横で聞きながら、妙な想像をめぐらしていた。

 

事務員で働いていてこの店を開けるくらいの金を残せたのかな?

なぜやめてすぐ水商売をやろうと思ったのか?

客と話もできない人がなぜ水商売をやろうと思ったのか?やるにしても、普通ならどこか他の店でアルバイトでもしてこの商売をわかってから開店すると思うが、差し迫ったことでもあったのか?

元々飯田の人なのか、それとも他の地の人なのか?

開店初日に全く関係者が居ないのはなぜ?

 

 妄想の結論を出した。

 

飯田近郊の小さな町の中小企業に事務員として勤めていた女性が、ある時社長と不倫関係になってしまった。何年か続いたその関係が社内に知れることとなった。噂は一気に社内、地域に広まり、会社に留まることも、地域に留まることも難しくなった。他の地域に移るのも、その地域で女性一人暮らしをし、職を得ることも難しい時代だ。まして新規の事務職は、若い女性が普通だ。そんなこんなで、不倫相手の社長が店でもやってみたらどうかと案を出した。店の開店資金は出す、商売がうまくいかなくても、しばらくは面倒を見る。そんな話があり行く当てもない身となった女性は渋々承諾したのであろう。店は既存の店を短期間で改造したのだろう。心の準備も十分に出来ぬまま、追われるように開店したのでは。

 

「出張かい?」男が声をかけてきた。

「ええ」

「どちらから?」

「仙台です」

「そりゃ遠くからご苦労さんだね」

「昨日は松本泊まりだから楽なもんですが」

「飯田は初めてかい?」

「そうです。ああそう言えば、飯田は南信州で一番大きな街と聞いていたんですが、駅前はさびれた感じですね」

「賑やかなとこは、ここから1キロくらい東に行ったとこにあるんだ。アーケイドもあるし、飲み屋もたくさんあるよ。」

「そうですか」

 

 しばらく男から飯田の街の様子を聞いていた。その間も女性は姿を表さない。物音ひとつ無く何をしているのやら。

 

 ビールも飲み終わり、つまみも食べ終わり、男の話も終わったので、奥に「お勘定を」と声をかけた。「はい」の返事がしてほどなく紙を手にして女性が出てきた。金を払い店を出た。外はまだ明るかった。

 

 

 それから1年ほどして、また飯田に来た。ほぼ同じ日に、同じ時刻の列車で着いた。駅前は全く1年前と変わりはなかった。宿も同じ。前と同じように荷物を置いて外に出た。まだ明るいなか、駅前の緩い坂を少し下ると、その店はあった。さすがに花輪は無く、明かりのついた看板があった。潰れていなかった。よく持ちこたえたものだ。どう変わったか確認に入ってみることにした。

 戸を開けると店の中は暗く、煙草の煙が充満していた。多くの人の話し声が混ざり合い何を話しているのか全く判別できない。一瞬たじろいだ。予想外であった。

 一番手前の椅子が一つだけ開いていた。そこに腰を掛けると「いらっしゃい」のママの声がした。挨拶ができると馬鹿なことに感心していた。当たり前である、一年ももっているのだから。

ママの姿をしげしげと見た。顔は同じ人の顔であった。前よりも幾分太ったか。白地に太い線を幾本も大胆に配置し、かなり派手な着物を着ている。もうこの商売10年以上やっていますとでも言いそうな貫禄十分な姿である。手元で料理でもしているのか、ゆったりと、それでいて的確に処理をしているようだ。コップが開けばお酌をし、誰かが煙草を咥えるとライターで火をつけ、その動作も慌てた風もなく、ただ言葉もなくごく当たり前にこなしていた。馴染みの客なのだろうか、ママに話しかけていた。短い会話であるが親しげに話をしている。

わずか一年である。ここまで変われるものかと思った。女性一般の適応能力なのか、それともこのママの特別な能力なのか。

 

「何にします?」ボーッとしていたら、ママの声。「ビールを」我に返って注文した。ママは足元に冷蔵庫でもあるのか、かがみこみビールを取り出し、コップを置いた。ビールはお酌の態勢で待っていたので、コップを取って前に出した。そうこの店で初めてお酌をしてもらった。その後漬物のお通しが出た。水商売の通常コースが行われた。客に色々教わったのは確かなようだ。

ママはこちらの顔を覚えてはいないようだ。それはそうだ、最初に来た客だが、ろくに顔さえ見ていなっかただろうし、奥にばかりいた。

 メニューを見て、冷奴と枝豆を頼んだ。頼んだ時、ママがチラッとこちらの顔を見たが何事も無くそのまま手元に目をやった。ママが冷奴と枝豆を出した時、「繁盛してますね。」と話しかけたら、通り一遍の「おかげさまで」と答えてまた作業に入った。

 暇であるので、飲みながら周りを見回していた。店の奥の見えないところから客の話し声がしている。部屋があるのだろう、かってのママの隠れ場所にも客がいる。灯りの下のママの後ろの収納棚も依然と同じように綺麗に整理されている。そう、繁盛していて多くの客が使っているにもかかわらず、カウンターも綺麗に掃除されていた。変わらないところもあるのだと思った。

 ビールを飲み終わり、つまみも食べ終わり、勘定をして外に出た。外はまだ一年前と同じように明るかった。

日本防衛「改訂版 マイクロ原子炉付レーザー兵器を静止軌道に配置」

 日本の防衛のためになるべくコストをかけず、効果の最大を狙う必要があります。そのために「改訂版 マイクロ原子炉付レーザー兵器を静止軌道に配置」を提案します。

 

 これは、日本上空を全て網羅できる高度3万6000キロの静止軌道に、1000kwほどのマイクロ原子炉と発電装置、そしてファイバーレーザー装置を一体化したレーザー兵器を複数配置することです。

 

この装置の役割は

1.弾道ミサイルの破壊

2.敵対国の人工衛星の無力化

3.複数のレーザー衛星のレーザー光を集中的に浴びせることで大気圏内の敵国爆撃機   等の破壊

 

 まずは、マイクロ原子炉についてですが、三菱重工では、出力の小さな原子炉(小型原子炉、マイクロ原子炉)の開発に名乗りを上げています。これは直径1m、長さ2mほどの大きさで、トレイラーで運べるようなものです。熱出力は1000kw位の能力があります。この原子炉から熱を取り出し、発電機を回して電気を作ります。ここで作られる電気は500kwほどになります。

 できれば軽量化・小型化・可動部無しのため熱電素子により発電できればより良いのですが、変換効率がまだ低いため難しい状態です。

 作られた電気を使用してファイバーレーザーを稼働させます。 レーザー発射装置は稼働範囲をなるべく広くする必要があります。

 

 

1.弾道ミサイルの破壊

 地球の大気圏は概ね100kmの高さでありますが、それ以上の高さでは空気濃度が著しく低くなります。このレベルではレーザーの大気による減衰は無視できるレベルとなります。

また、レーザー加工機による金属の加工は、空気による拡散を避けるため距離わずか数cmのところですが、高くても8kwほどの出力のレーザーで、瞬時に数ミリの厚さの金属板に穴を開け、形状に沿った加工ができます。

 

様々のレーザー兵器を実用化してきた米軍は、300kwほどのファイバーレーザーがあれば大気中でも、弾道ミサイルを破壊できると考えています。

よって、100km以上の高度に上がってくる弾道ミサイルを、上からレーザーで攻撃すれば、爆発・破壊できる可能性があります。

これを実現するためには、日本上空を全て網羅できる高度3万6000キロの静止軌道に、マイクロ原子炉を組み込んだレーザー兵器を配置する必要があります。 光の速さで、大気によるエネルギーの減衰も無ければ、3万6000kmの距離は何の障害にもなりません。

 

ただし、このシステムを、使用可能にするためには、ミサイルの早期検知システムが必要とされます。 多くの監視衛星に、画像解析によりミサイルを自動検知するエッジAIを組み込み、地上、レーザー衛星を連結するネットワークシステムが必要となります。

 

 このシステムで早期にミサイルを発見できれば、敵国領土内あるいは領海内で破壊することが可能となるでしょう。 敵国は自分の武器で自分を傷つけることになります。

上手く表現すれば、抑止手段として使えると思います。

 

 

2.敵対国の人工衛星の無力化

レーザー兵器が弾道ミサイルを破壊できるならば、軌道上を回っている衛星を機能停止にすることぐらい簡単になるでしょう。また同じように静止軌道に乗った衛星も可動範囲が大きければ、機能停止させることは可能でしょう。これにより、他国のGPS機能や通信機能はその能力を失います。

 

 

3.複数のレーザー衛星のレーザー光を集中的に浴びせることで大気圏内の敵国爆撃機等の破壊

 

 レーザー衛星を1基だけでなく複数配置できれば、ミサイルの多数同時発射への対応も問題なくできるでしょう。また、狙う相手を同じにして集中させれば、大気圏内でも、高高度を飛行中の大型爆撃機を破壊できるかもしれません。さらに出力の高いレーザーを配置できればこの複数レーザーで、地上の目標を同時に狙えば、目標物を機能不全か破壊することも可能となりえます。

 

 

 以上ですが、マイクロ原子炉もファイバーレーザーも、民用・陸上兵器用等、応用範囲がかなり広いです。資源(資金、人、物)を集中して開発促進を国・民間協力して図ってほしいものです。

韓国民よ!!「両班の朝鮮」から庶民を救ったのは日本だった

 朝鮮の歴史を自分できちんと学んだ韓国民ならば、日本統治時代以前の朝鮮の惨状はよくご存じだろう。

韓国の時代劇のテレビ番組でもよく出てくるが、庶民の女性が「朝鮮では両班以外は人間ではない、人間扱いされない。」と言う場面がある。朝鮮は支配者のための国。庶民は奴隷であり、両班や役人に殺されても財産を奪われても強姦されても、されるがままで、両班やその手下の役人たちが罰せられることはない。人の悲しみ・苦しみ・悩みなどに全く共感できないサイコパス両班達には、舌なめずりして人を殺せる、情け容赦なく庶民からなんでも奪える天国であった。やりたい放題である。

 

彼らの人生の喜びは、自分が出世して、金持ちになり、妓生を愛人とし、人に命令して自分では何もしない、全くの寄生虫以下の人間として生きることである。

 

他国が攻めてくれば、その姿さえ見えないうちに、真っ先に自分たちは逃げ出す。中世西欧でも吸血鬼と呼ばれるほど国民からすべてを搾り取る王がいたが、そんな彼等でも敵が攻めてくれば、勇んで出陣した。

 

朝鮮のこの伝統は、朝鮮戦争の時に北朝鮮が攻め込んできた折にも見られた。時の大統領は、国民には「軍は十分に対処していますから大丈夫だ」とアナウンスしながら、自分はさっさと橋を渡って逃げ、北朝鮮軍が渡れないようにと橋を爆破するように命じた。北朝鮮軍に驚いた人々が逃げようと渡っている橋を爆破したのである。この爆破で、死者600人に及んだと言う。時の大統領も両班出身者だと言う。

 

 こんな朝鮮を、ロシアから守るため統治に乗り出したのが日本であった。朝鮮がロシアに奪われれば、次は日本が狙われると考えたのである。

(日本の勝手と言われればそうと認めざるをえないが!)

 

日本は、朝鮮の身分制度をやめさせ四民平等とした。刑務所も近代的に清潔な場所に作り替え、囚人の待遇は見違えるほどよくなった。狭くどぶまみれのソウルの道は、近代的な街並みと変貌し、米は増産され、禿山には植林がされ一気に緑が増えていった。法律も整備され、両班の横暴は許されなくなった。しかし、それでも旧両班の横暴は見かけることがあった。ある旧両班が使用人を棒でかたわになるほどに殴るの見かけた日本人が、あまりの酷さに憲兵に「あれは酷すぎる、人間のやることではない。やめさせてくれ」と訴えたほどであった。 でも不思議である、なぜ使用人は反撃しないのであろうか。ただ打たれるまま、耐え忍ぶだけなのか? 高麗から900年、その長きにわたる圧政のためなのか?

 

 朝鮮の旧両班の人々が日本を悪しざまにいうのは、意味が分かる。彼等にとって、自分たちの特権を奪った日本は恨み骨髄であろう。しかし、自分たちの行いがあまりにも人の道に外れていたのが原因である。日本統治時代より前、多くの両班が日本に渡り、著名な日本人と交流した。その著名人たちから多くの支援を受けたにもかかわらず、彼らはあっさりと裏切り行為を働いた。両班人間性、その言動と実際の行為のギャップに、信用のおける人間ではないと支援者たちは幻滅した。そしてその多くの著名人が、朝鮮とはかかわるなと怒った。

さて、圧倒的多数な朝鮮の庶民にとって、日本統治はどう評価されるのであろうか? 両班と同じように日本を非難するのであろうか。 あるいは時の氏神と、いい機会に自分たちの前に現れてくれた、両班の圧政から救われたとおもっただろうか? 韓国ドラマでも、虐げられる庶民を助ける王様はヒーローである。またそれを助ける役人もヒ―ローである。

 

しかし、日本統治時代は良かったと言った老人は、若者に殺された。その若者は懲役5年だという。 現実には日本統治時代が良かったとは、軽々しくは言えないか?

 

現在の両班達も、昔と同じように、言葉巧みに人々をだます。だが人に命令することが仕事で、自分では実際何も実行しない。その両班に問題が起きた時に現実的に対処することができるのだろうか? 正しい処理がわかるのであろうか? もしそれができるなら、セウォル号沈没事故ももう少しまともに対処できたのでは。

 

識字率6%の李氏朝鮮時代と異なり、70%以上の人が大学に行く現代、現代両班の嘘を見抜き、騙されることなく、堂々と異を唱えるべきではないか。声の大きい似非両班が組織的に日本を誹謗中傷するのに、真実を自分で調べていれば、間違っていることは間違っていると声をだすべきでは。それを誰も実行できなければ「ヘル朝鮮」は決して無くならない。

 

現代の両班も庶民を痛めつけるは大好きのようだ。ナッツ姫だけでは無い。 庶民が大事にされる世を作らなければ、北朝鮮と同じになる。北朝鮮こそ李氏朝鮮そのものだから。

 

韓国民よ、韓国国民のため、あなたの周りの人々のため、声を上げる時ではないか。

 

さて、私の書いたことは嘘であろうか、韓国民よ、自分できちんと調べて考えて欲しい。

提案!! 「日本のデフレ脱却方法」

提案!! 「日本のデフレ脱却方法」

 

 慣れ親しんだデフレを脱却するための具体策を提案したい。 結論から先に言おう。

 

 日本の家庭金融資産が2000兆円を超えたと言う。各家庭がその保有金額の5%をまず1年目に自分たちの喜び、楽しみのために使う。そうして次の年も5%を同じように使う。これにより2年間でおよそ200兆円の実需の消費が発生する。これを起爆剤とし日本の景気を回転させる。動き始めた景気のサイクルが雇用を作り、人手不足が賃金の上昇を招く。賃金の上昇が消費を呼ぶ。日本の経済が回転し始める。

 

 では、初めの5%を各家庭がどのようにしたら使ってくれるのだろうか?

 

 先の読めない変化の激しい現代で、備えの必要性を多くの人々は感じている。多くはない貯えの人々にとって、1割の資産減少は不安である。この不安を払拭し、自分たちの喜び、楽しみのために使ってもらうためにはどうしたらよいのか?

 

 全てのマスコミの方々にお願いしたい。日本に住む全ての人々に訴えてほしい。

 

「自分の喜び・楽しみに金融資産の一割の金額を消費に回せば、それで景気が上向き、日本が活気づき、人々が明るくなる。これは日本を、そして多くの人々を救うことだ。そう昔の言葉で、世のため人のため、である。自分にとって楽しいこと、趣味の道具でも、道楽でも、旅行でも、もの・こと なんでも良いのである。自分や家族を喜ばすこと、あるいは他の人を喜ばすことでもよい。いい世になれ、いい世になれと念じて使ってください。」

 

 私のような、表現の拙さでなく、人々の心に沁みわたる言葉で、どうか訴えかけてください。 この時政府は黙っていた方が良いでしょう。あくまで民間の心ある人々が、心底願って訴えてください。日本に住む人々のこと、納得すれば喜んで協力してくれるでしょう。

 

 政府は、人々が動き始めたら、次に日本の進むべき姿を提示してください。例えば

 

 「省力化・自動化・無人化を全ての分野で推し進め、人々の労働時間を順次削減していきます。 近代の狩猟採集社会に、研究者がお邪魔して、彼らの生活を様々な面から調査した結果の一つに、彼等狩猟採集民の1日の労働時間は平均4時間ほどであったと報告されています。 現代人よりはるかに少なかったのです。 省力化・自動化・無人化が進めば、週20時間労働も夢でなくなります。既に工場の無人化は大きく進んでいます。同じように農業・介護・医療・商店あらゆるところで、省力化・自動化・無人化が試みられています。

日本人は擦り合わせが得意だと言われます。自動化の機器を作るには自動車と同じように多くの部分に擦り合わせ処理が必要とされます。またその機器を動かすには、ソフトウェアが必要とされます。このソフトウェアは、実際に目に見える動きをコントロールするためのソフトウェアなので、これも擦り合わせでしょう。AIを使うか、プログラムでコントロールしようが、こだわらず役に立てばOKです。

 

機械化により様々な分野で生産性が上がれば、短い労働時間で多くの成果が得られます。その成果を多くの人に行き渡らせるため政府は、労働時間の上限を早め早めに短くしていく必要があります。 法律できっちり誘導する必要があります。

 

省力化・自動化・無人化の結果の豊かさが資本家だけなく、全ての人に行き渡るようにする必要があります。それがきれば、現在起きている多くの社会の問題も、おのずと解消されるでしょう。 一日4時間の労働であれば、イクメンも増え、育児の問題も、産後鬱の問題も減るでしょう。そうすれば人口減少も緩やかになるでしょう。また国が富めば、ベーシックインカム等の導入も無理なく実施できるでしょう。人々は生活の不安もなくなり、犯罪も減るでしょう。残りの時間を自分を活かすために使うことができ、人生そのものを楽しむ生き方ができるでしょう。そう『人類は楽園を目指す』です。有史以来あこがれてきた・夢見てきた楽園を、科学技術の力で実現しようとしているのです。まだまだ時間はかかるでしょうが、これに向かって進んでいきましょう。」

政府はたまには、このような未来を国民に示しても良くないですか。人々が、日本の繁栄を願って10%消費を決意したら、政府も真に人々のためになる施策を明示しませんか。

高砂

昭和30年代初め浩一が小学校4年生の頃のことである。

 

その日浩一と姉の幸子は結婚したての叔母の家に呼ばれていた。叔母は姉と10歳しか離れていないため姉妹のように仲が良かった。

 

叔母の家に着くと、叔母と結婚したての叔父と一緒に2人を待っていた。その当時の2人住まいの東京のアパートにしては広めの部屋であった。叔父は大手の商社に勤め、育った家も代々続く名のある家だった。

 

叔母と姉が料理に取り掛かり、叔父が買い出しに出かけた後、浩一ひとりが暇であった。部屋の中を見回していたが遊べるようなものはなかった。

 

その時、たまたま箪笥の上に見慣れないものが見えた。おじいさんとおばあさんの人形である。きらびやかな着物姿でそれぞれが熊手と箒を手にしている。(この媼と翁の人形は、婚約した二人に親戚等から送られるもので、ともに白髪の生えるまでと健康で豊かな人生を願ってのものである。その名を「高砂」と言う) 

 

「顔が!!」浩一はおじいさんとおばあさんの顔の表情に引き付けられた。その感動は幼い浩一には言葉で説明できるものではなかった。後年その有様を思い出しては反芻するようになって、ようやく言葉で説明できるようになった。

 

「若い頃かなりの苦労をしたが、二人で手に手を取って、必死に頑張ってきた。人々にも助けられ、人の有難みを心底感じて、感謝の心を育んできた。そのおかげで、健康で、仕事にも成功し、良い子や孫にも恵まれた。子供に家業を引き継ぎ、隠居した今が最も幸せな時である。その表情には、すべてに満ち足りた喜びがあふれている。この人形の表情は、そのすべてを表していた。人間観察もその本質も見事に表現しきっているように思えた。」

 

この出会いは、不思議なほど浩一の心に残った。しかし、その後この人形は、叔母の家を訪れても見ることが無かった。何処へ行ったのか不明のままで、後年叔母に聞いても定かでなくなっていた。

 

後年自由に行動ができるようになってから、デパートに行ったときは人形売り場に、あるいは人形の専門店にわざわざ出向いて、同じようなおじいさんとおばあさんの人形(高砂人形)を探した。いくつもの人形を見たが、どの人形も格段に顔の表情のレベルが低く、人間洞察を全く感じさせない人形ばかりであった。平成の後期になって、ネットでも探したが、同じレベルの顔をした人形は見つからないのである。

 

あの人形作者が誰であったか、あるいは製作工房の名前でもわかっていればよかったが、幼い浩一にはそこまで気づきようも無かった。おそらく博多人形ではないかとしかわからなかった。

少女

 昭和30年代前半の東京は下町のある小学校である。

5年生になった浩一には気がかりな少女がいた。クラス替えで初めて出会った少女が一学期の間ずっと休み時間に誰とも話さず、運動場で遊ぶこともせず、またにこりともしない。自分の机に座り、無表情で、自分の周りに暗いオーラを放ち、人を寄せ付けない。なぜ、気になるのか浩一はわかっていなかった。ただただ気になっていた。

1学期が終わり、夏休みとなりしばらくは少女のことを忘れていた。2学期になり恒例の席替えとなり、その少女が浩一の隣の席に来た。

浩一は、クラスでも忘れものをよくする落ち着きのないおしゃべり好きの子であった。忘れ物をするとその当時は隣の子に貸してもらうことが多かったので、浩一は「鉛筆貸して」「消しゴム貸して」「教科書一緒に見せて」毎日のように少女に頼んでいた。

休み時間、それのお礼を言うのをきっかけに、「ねーねー昨日ね、隣の家の犬がね~」とたわいない話を話しかけた。少女は固い表情でうつむいていて、答えようとはしなかった。それにもめげず、浩一は話し続けた。それからである、休み時間や昼休みにテレビの話、仲良くしている隣の家の犬の話、水たまりに枕木を浮かべ遊ぶ話、秘密基地を作った話など少女に興味があろうがなかろうが、話しかけていた。しばらくすると少女も慣れて、うなずいたり、時にはわずかに話したりするようになってきた。そうしているうちに、少女の顔にも、笑顔が見られるようになった。

そんなある日のこと、その日も浩一はテレビの話を少女に話していた。その時、少女の横を通りかかったクラスの女の子が、「そうそう、それ面白いのよね~」と話しに入ってきた。さらにそれをきっかけに数人のクラスの女の子が話に加わってきた。少女は変わらず言葉少なく、クラスの女の子の話を聞くことのほうが多いが、表情は柔らかく、おかしいときは微笑んでいた。

それからである、休み時間になると浩一の席は、クラスの女の子が座っていて、浩一は始業のベルがなるまで自分の席には座れないことが多くなった。その少女の周りにクラスの女の子が集まっておしゃべりするのが日課のようになっていった。

ほどなくして、2学期も終わりとなり、冬休み、そして3学期となり、クラスの席替えが行われ、浩一は少女の隣の席ではなくなった。それでも、休み時間の少女の周りにはクラスの女の子が集まり、以前より、少女の笑顔も増え、話すことも増えた。暗い重苦しい影のようなオーラは消え、普通の女の子の一人と見えた。

浩一はもう少女のことが気にはならなくなっていた。